オークランドのマリファナ事情
事情って使いやすいよね。
どーも、なっちゃんです。
マリファナは合法化されているので、日本人も好奇心で良く吸っていたようです
ホストファミリーから留守を任させている日本人留学生んちで良くマリファナパーティーが開催されてました。
私はそいつと仲良しだったが一回も呼ばれませんでした
類が違うと思われてたのか、仲良しと私が勝手に思いこんでいたか。
、いや、そいつは恋愛相談をしてきたり個人的に相談にのってあげていた。仲良しだった。帰国して一時は連絡とってたもん!!←誰かにわかってほしい感情爆発中
まあ、とにかくパーティーはよくされていた
あ、ラリってるなはすぐわかる。
テンションが高い
箸が転がるだけで笑う年齢層みたいにケラケラケラケラ笑ってる
思春期の乙女でもない男がケラケラケラケラ
あんた、吸ったろ?と尋ねてもハイテンションで吸ってないもーん。と
気分はハイになるようだ。
夜はマリファナの売り子が良く声をかけてくる。
良いのが入ったから試し吸いしないか?と
私はその時現地に住んでいる中国人男性と一緒にいた
試し吸いはその中国人男性にしてもらった。
吸い方は売り子が吸って吐いたマリファナを鼻から吸って試す
まあまあかな。でも今回は遠慮するよ。といった風に大体追い返していた。
オークランドはほぼジョイントといった吸い方だ。
ホームレスが拾って吸っていたしけもくもマリファナだったのかもしれないな。
私は思春期に箸が転がるだけで大笑いしていたから
マリファナは必要なかった
オークランドのホームレス事情
最近、なんとか事情にはまってるなっちゃんです
オークランドは本当にホームレスが多かった。
日常風景になりつつあった。
しょっちゅう道端に落ちているしけもくを拾っては
火を借りてくる
別に害はないので火をつけてあげていた
が、一回夜にバスを待っていたときにマックのハンバーガーを食べながら若い男性が私にjap#fuck#
△×☆等とハンバーガーの食べかすを吐き散らしながら叫び始めた
さすがにこいつはヤバいと感じ、その場を去った
が、
そいつはハンバーガーを口から撒き散らしながら走ってついてきたのである!!
ぎゃあああああああ!!
私は走った
そいつも走った
なんなんだこの光景は。シュールすぎる。
やっと前のおばちゃんに横断歩道で追いついた。
その人もそいつを避けて次のバス停まで歩いていたのだ。
英語であーゆうのは関わらないのが一番よ。と言ってたような気がする
さすがにそいつは次のバス停まではついてはこなかった
ラリっている人間はやはり怖い
しけもくに
火を付けてあげたのにな
ちなみに英語では
Do you have a light?と言います
オークランドの夜の事情
ニュージーランドは人口約400万人
羊は約4000万頭。
羊の頭数が圧倒的に多い国である
飛行機から見えたニュージーランドは緑が多く自然豊かな国に見えた。が実はレイプ率はニューヨークについでワースト二位なのである。
意外と知られていない事実だが、それは人口比率にあるようだ。
パーセンテージにしてみたら高いのである。
オークランドでも、あの橋の向こうには行ってはいけない場所や、昼間は良いが夜はヤバい雰囲気が漂っている場所がある。
橋の向こうは原住民のマオリ族が多いらしいが
それが原因と言ってしまえばそれは差別と偏見に満ちたものになってしまう。
現に銀行で働いてるマオリ族もいるし、マリファナでラリっているキーウィもいる。
中国人、韓国人、とにかくオークランドは多国籍の人々が住む都会なのである。
私はオークランドの17時半以降は必ず男性一人以上と行動していた。
現地に住んでる男性ならば一人でも良いとも思う。
夜は治安が悪いのもあるが、ほかにもマリファナの売買や、若者のホームレスがうろついてるのもある。
が、私は手を出さなかった。理由は送り出してくれた両親の顔が浮かんだからである。
と、綺麗事を言ってみた(笑)
ニュージーランドのランチ事情
朝6時頃に起きて、ホストファミリーにグッとモーニングと言って適当にシリアルに牛乳を混ぜて食べる。そこら辺にあるリンゴにかぶりつき(ニュージ-のリンゴ日本の半分くらいのサイズっす)
たまにトーストも頂く。
一斤が100枚ぐらいスライスされてるような食パン。
一回ベジマイトを塗って食べた。これ↓
、
、ありゃくいもんではないな。何故にあれを食パンに塗るのだろうか。。
例えたら、イカの塩辛をパンに塗って食ったらあんな風になると思う。
イカの塩辛塗った食パン。
美味しいんかな、、
あ、
日本にそんな風習あったらまじでゴメン
そういえば元旦那のばあちゃんがトーストにマヨネーズ塗ってバナナのせてチンしたの孫に食べさせてたわ。。
、あんな感じなんかな。。(回想中)
話がそれた
で、
学校にいこうとしたらダグラス(ホストマザー)がランチに持って行きなさい。と手作りのサンドイッチを渡してくれた。
おお。ありがたい、と思ってサンキューとお礼を言ってバス停まで歩く。
予定より20分遅れのバスに乗り込み(一時間遅れることざら)ハーバーブリッジから見渡せるリバーを見ながらMDプレーヤーでスピッツを聴きながら渡る。
爽快。。
その後は地獄の坂道を歩いて学校につく
昼まで8人ぐらいの仲間と英語のレッスンをする。
その中で韓国の綺麗な女性と仲良くなり良く昼間は一緒にカフェに行ってた。
Coffeeが95セントでクッキーやチョコバーなどが売ってある。
向こうは昼間は軽食で済ませる人がほとんど。
Coffeeとチョコバーとか
リンゴとクッキーとか
、作る側はとても楽チン↓
サンドイッチがあるのは珍しいかもしれない
もし、私が娘に遠足で
クッキー、チョコバープラスバナーナ丸々一本をランチボックスに入れたならば、ママ友から、いや、先生達から虐待(ネグレクト)を疑われるだろう、、
、娘は喜ぶだろうが。
ニュージーランドでは社会問題化してるけど。
そりゃそうだ。育ち盛りの子どもにリンゴ、クッキーは栄養面では足りないと思う。
ニュージーランドの公立学校には給食がないのである。
日本は本当に恵まれてるな、と本当に思う
オークランドの英語学校
さて、次は学校に手続きに。
ここに決めるまで自分の足で3箇所ぐらい見てまわった。学校の雰囲気や授業、先生の雰囲気は見ないとわからないと思ったからだ。
決めた所は
市内中心地から坂道、坂道、坂道を歩いて約20分程の場所にある
以前にテレビでフィリピンだったか、地元の中学生に地獄の坂道連打で一時間かかっていた場所に日本人が電動自転車をプレゼントしていた
あれ、欲しい。私が今またあの学校に行くならば電動自転車持っていくだろう。
持って行く方法はいまのところ考えてないけど。
英語学校の名前は確か。。
覚えてない。。
また、Googleで調べてみよう
あった‼️オークランドオブザユニバーサル!
、ちげーし。良くみたらユニバーサルオブオークランドだ。。
さてさて、入学手続きしに学校についた。
外にある何枚かの書類に今のホームステイ先の住所、パスポートナンバー、所属したいルームを書いて
確か英語力を調べる為にペーパーテストと面談があった。
面談は緊張した、
白髭のサンタクロースみたいなおじちゃんだったことは覚えてるが話した内容は覚えてない。
まあ、人間の記憶力なんてそんなもんだ
で、下から二番目ぐらいの英語ルームに決まったのである。←英語力ほぼなしといった結果
その日は学校を見学し併設のカフェ、パソコンルームを見て帰宅した
明日からあのハーバーブリッジを渡って通学かあ、と思いながらMDプレーヤーを用意した。
、知ってる?MD?
CDじゃないよ。MD.
今もあるんかな、MD、、(回想中)
、
(追記)
費用は
ジェネラルイングリッシュコースで
1ヶ月、ニュージーランドドルで450
あのときはレートが日本円で70円=1ドルだったので、450ドルは、、いくらだ?
、、
でもまあ、フルタイムで授業受けてその金額ならば決して高くはない相場とレベルだったと思う
そこで私は日本人男性達と韓国人男性と出会うことになる
、男性ばっかだな、、
オークランドでの生活
さてさて、まずは銀行開設へ。それからtaxのなんか出国の際に税金がかえってくる手続きをしに。
ホストファミリーの家はなんか立派な橋をまたいでオークランド市内まで約20分、朝も景色も素晴らしいが夜の景色もオークランドの夜景が素晴らしい。
今。調べた。ハーバーブリッジだった。そーだった。
ホストファミリーは二人ともキーウィ(ニュージーランド人をこう呼ぶ)
ほかにタイ人男性一人が滞在していた。
その方たちは日本料理が大好きで、豆腐を入れたグラタン(チーズたっぷり)味噌スープ(スープ皿にスプーン使用)を食べさせてもらった。
皿に盛り付ける量が半端なく日本昔話に出てくるあの茶碗にご飯山盛り一杯の量程の5倍ほどのグラタンをついでくる。
頑張って頑張って全力で食べ、アイムフル(お腹一杯)と伝えたがサムもあ(もっともっと)と更に5倍ついでくる
、いや、もう、死んでまうと思った所にニュージーランドお馴染みのホッキーポッキーが山盛りで運ばれてくる
なんだ、キーウィ人は。なんでこの量の夕食で余裕でテレビなんてみてられるんだ?
シャワーを浴びる余力は私にはなかった
あ、調べたらほーきーぽーきーだわ
人間の記憶力なんてそんなもんだな
ニュージーランドに入国
入国審査の方々はとても優しく皆ハローと笑顔で声をかけてくる。
テンション上がります
海外一年間サポートしてくれる日本人男性が迎えに来られ、まずはホテルへ。
ホテルと言ってもB.Bといったこじんまりとした家庭的な感じのホテルだ。
タバコは外で吸ってくれ。後、18時以降は施錠するから朝まではタバコは吸えないよ。と言われた。
そのときは何故に18時に施錠?と思ったが素直にイエス!といい、就寝。
朝は鳥のさえずりで目を覚ました。
朝はビュッフェ形式で焼きたてのパン、チーズ、ベーコンエッグを頂いた
このチーズの美味しいこと!
日本ではまず味わえないな。と思った。
チーズの量り売りはニュージーランドでは普通で切ってもらい、味見をし購入もできる。
そのホテルには三泊ぐらいした。
場所は後から知るがニュージーランド、オークランドでワースト一位に入るレイプ率、犯罪率が高い場所だと。
だから18時施錠だったのか。と。
だが、それからも18時以降にバスに乗りホストファミリーから激怒されたり。泣かれたりした。
オークランドは一人で女性は18時以降は歩いてはいけない場所だと知ることになる。
初の海外。日本出国
たしかKOREANエアーで韓国4時間滞在してニュージーランドに渡った。所謂経由ですな。
韓国について日本人何人かでレストランでビールを頼んだ。
初めは1000ウォンと言っていたウェイターが2000ウォンと会計時に言われて英語で文句を言ったのを覚えている。
日本人とわかればぼったくられるのが海外。
その国の相場を事前に調べておくことをお薦めする
出国ゲートには私も一緒に日本に連れて言ってください!とつたない英語ですがりついてくる韓国人もいた。
、いや、うち今からニュージーランドにいくんだけど。。と思いながら韓国出国しニュージーランドへ。
約10時間のフライトだった。事前に病院からもらっていたハルシオン(睡眠導入剤)を飲んでうとうとしていたら4時間ぐらいで起こされた。
時差が4時間あるのでその国の時間で起こされるらしい。
(あ、もう今はハルシオンは処方されてないようです。)
初めてのニュージーランドを上空から見た時は本当にニュージーランドが緑緑で白い点々(羊)が上空から見えたのが感動したのを覚えている
いざ、ニュージーランドへ
パスポートを準備し、ビザを自分自身で手配した。
業者を介するとパスポートならば5千円程度。ビザならば5千円から一万程度ほどかかるからだ。
ビザはワーホリビザを
海外旅行保険にも入った。
飛行機の手配はHIS.
初めての海外旅行なのでワーホリに強い業者にサポートを頼んだ。(ホームステイ先、銀行開設、語学学校の手配、仕事の斡旋など一年間サポートしてくれる)
ぜーんぶ手配したあとで親に伝えた(笑)
は?今なんて言った?←父
ニュージーランドに一年間行ってくる←私
(笑)そんな簡単には海外にはいけないよ(笑)
パスポートもないのに←父
とったよ。パスポート。←私
ビザはさすがに簡単にはとれん。コネがないと←未だにこの意味がわからない←乳。いや父だ。
ビザもとったよ。←私
彼氏はどうするんだ?と言われて
あー、あれはもうどうでもよいからと伝え、なんとか一週間に一回手紙を書いて詳細を伝える事を条件に了承を得たのである
初めての海外旅行で長期留学一年間
仕事をしながらぼちぼち貯金をしていった。予定の100万は1年間で貯まった。(親んちだったから)
そのときは恋愛中でまだ海外いかなくてもいっか。ぐらいに恋愛を楽しんでいた。
ラブラブの最中に相手が既婚者と知り愕然。。
それも新婚さん。((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
なんじゃそりゃ、と思って聴くとナルシストだったのか一人苦悩し、自宅の新築の窓に拳をたたきつけ、おれはお前を愛してる。。でも奥さんも見捨てられない。。と拳に包帯を巻き言ってきた、( ゜o゜)
いやまあね、そうね、と若干引きながら話をしていたら奥さんも出てきて、こんなに愛しあっている二人を引き離すことなんて出来ない!と私の両親に奥さんが二人を一緒にさせてください!と実家に来訪。
、、そりゃ修羅場でしたわ
なんで、余計な事すんだよ。奥さんよ。
、なんとか両親も認め?再び付き合い出した時に言われた一言が日本を飛び出したきっかけになりました。
(奥さんも見捨てられないから元奥さんも一緒に住んでほしい)と。
どこかがプチと切れた瞬間でした。
すぐパスポートやビザを手配したことはいうまでもないです。
海外に興味を持ったきっかけ
高校三年時、クラスメートがオーストラリアに1ヶ月留学した。
1ヶ月後の皆の前での発表時、その子は本当に目をキラキラさせて留学時の体験を語ってくれた。
(内容はまったく覚えてないw)
.その時にあ、私も海外に行こうと決心したのだ。
私はその時、18歳。
ニュージーランドに海外留学に行くのはそれから2年後となる20歳になる。
皮肉を皮肉と感じないタイプ
高校に進学し、まあ、友人も出き、成績は中の下ぐらいでぼちぼちやっていた。
高校を決めたのも両親。
行けるならどこでもいーよーといったスタイルで
将来の夢も漠然としていた。
進学先は国際科。
一学年しかないので三年間メンバー変わらず。
女性は相も変わらずにグループを作る。
私はいくつかのグループに所属しあまり一つのグループに所属しないようにしてた。
だって面倒くさいじゃん。そのグループの中でいじめがあったり仲間はずれがあったり。
案の定いじめられてハブられてきた友人が私の所にきた。
いつも一緒にいた親友はそれが理由で離れていった。
中学生の逆バージョンだなw
そのクラスいや、私の時代はヤンキーが幅を利かせていた。
土下座して謝ってた同級生もいる。なんかたんかを切られていた。
その女性は三年後、私に(あんたって本当に皮肉を皮肉とかんじないんだな。あんた、いじめててもバカらしくなるわ)と言われた。
その時に初めて私、苛められてたんか!と気づくのである
いじめをいじめを認識しない鈍感力は大事だ
苛められても落ち込まない気にしない体質に
それからはあ、これはいじめだな。と感じる事がしばしばあったが意外に気にはしなかった。
ただいじめた相手はそれがしゃくだったのかいじめは継続して行われた。
私の親友を取られた時はさすがに悲しかった。皆の前でクラスに入ってくんな!と言われた時はそこまで気にしなかった。
悲しくはあったが、なんでこんな事をするんだろう、とあまり気にもとめてなかった。
今もそういった気質は変わらない。
いじめ返すといった気持ちも湧かず、卑屈にもならず、まわりをみわたせば全ての人がそういった人間ではなく。
別に私が悪いことをしたわけではないので毎日変わらずに登校していた。
そのうちに新しいグループに入ったが、わたしはそのグループにもあまり深入りせずに淡々と過ごした中学生時代だった。
快適な職場環境を手に入れる
本日、部長宛に診断書と職場環境改善要望書を渡した
パワハラを受けた同僚の名前を伝えた。
部長曰く多分その方だと話していました。早急に指導、厳重注意し、外の部署に移動するなり措置をこうじます。と言われた。
上司の上司を味方につけることは非常に重要である
これは告げ口ではない。
話したら倍返しがくるから、仕返しが怖いからと言わず伝えずおどおどとそのパワハラをしている職場の人にペコペコしている人の多いこと。
又は何も言わずに辞めていく人も多い。
いやいや、あなたはパワハラをしているんですよ。と相手に伝える事は悪いことではない。
それで、更に仕返しでパワハラをされるようならば労働監督に訴えて法に訴えても良いのである。
泣き寝入りは会社にとっても自分にとってもマイナスにしかならないからである
強くなくてもよい。ただ弱くてもいけない。
情報を集め知識をつけよう
ただ診断書を渡すだけではだめ
ただ休職させた方が良いと書いただけの診断書を提出し、1ヶ月休みます。だけ伝えても復帰したらまた同じ環境に身をおき病状は悪化し再発するだろう
なぜ鬱状態になってしまったのか何がきっかけになりどこを改善したら上手くやっていけるのか上司に上手く伝えること。これが最も大事なことだと思う。
私は職場環境改善要望書を書いた。
何故今の状態に陥ったのかポイントを書き出し
その具体的な内容を詳しく書き出した
自分が働きやすい環境を作ることは会社にとっても有益になるのである