英語学校に(オーストラリアワーホリ編)
まずは英語のレベル判断のテストを受けた。
発音が良かったので最初は上のレベルに。
ペーパーテストで真の実力を見破られw
Elementaryレベルに。
クラスに行くと日本人、韓国人、ブラジル人
ロシア人、インドネシア、ベトナム、タイと本当に多国籍なクラスだった。
皆、音読がたどたどしいなか私は発音はいっちょまえでスラスラスラスラペラペラペラペラ話してる様にやはり見えたのだ!(発音恐るべし)
それはクラスの先生も騙されたようで
あなた、本当にこのクラスのレベルなの?と音読の後に言われ、あなたの本当のレベルのクラスに行ったほうが良いとまでアドバイスを受けたw
私の実力は薄っぺらイ
次の文法の授業ですぐにバレた
broken イングリッシュなんです。
伝われば良いのです
職場では英語よりまずは日本語をまず勉強しろと言われてます。
どちらも中途半端なんですよ。私
良いのです。
生きてさえいければ。
コミュニケーションが取れれば。
まあ、そんな考え方で3ヶ月そのクラスで過ごしました。
韓国人女性の女友達が二人でき
日本人男性の友達が一人でき
それなりに学校生活を楽しんでました。
英語レベルのクラスは多彩で、私より上のクラスなんて果てしなくあり←しょせん薄っぺらい
なんだろう。。
英語ができる日本人、アジア人の壁みたいなのがあるんですよね。
、バカにするとかはないのですが、そのレベルレベルでグループができるような。。
たまにレベルの違う日本人アジア人のグループんちに遊びに行くと、コミュニケーションに乗り遅れたり。
そこはやはり英語力の差だろう。
現地の人と対等に話せるアジア人たちとのコミュニケーションは非常につらかったのが本音だ
あそこのグループはグループで草パーティーをしていたらしくそのパーティーにお呼ばれされなかったのは幸いだった。
それでも私はそれなりに友達の友達を通じて、フィジーの人々やホストファミリーのノルウェー人のホストパパ、おーじー(オーストリア人)のホストマザー、その年頃の、息子、娘、末の3歳の娘と仲良くホームステイを半年間続けていた。
そこにはタイの英語堪能な女の子もホームステイしていた。
シャイな日本人女性もホームステイしていた
とにかくワーホリは文化の違いやカルチャーショックを受ける、世界観を広げるにはもってこいのビザだとは二か国旅をして本当に思う。
英語力を鍛えるには日本人以外の友人。現地の友人
そして、現地の恋人
、
本当に最低だな。私は。
近い未来に
元旦那から一生、俺が生きている間はオーストラリアに行ってはいけないといった約束を契ることになる
倫理は苦手
今でも倫理感は恋愛に関していえばないに等しいな
最近、ポリアモリーの意味ががしられてきたが
モノガミー的な日本人にはなかなかこの考え方はまだまだ受け入れられないな
、と。
それでも地で生きていってます
時代はレイワだしねw
語学学校はTAFEでした。
おすすめです
乗れなかった。。どうしても。。乗れなかったんだよ。。
今週のお題「わたしと乗り物」
私は色んな乗り物に乗っている、
車に自転車、飛行機、船、漁船、ヘリコプター。、
友達の彼氏の
走り屋の車に若き頃乗った。
確か外車だったか。300キロ市道を振り切った時は
目をつむり、早くおろしてくれたまえ。神よ。と神か君かよくわからないものに祈った
友達の彼氏のピンクのスカイラインに乗り、地元の港でドリフトされた時も祈った
友達が四駆でダンプカーをトンネルの中追い越し、サイドブレーキをかけ煽り、ダンプカーのうんちゃんがキレてトンネルをあの長い車体で対向車線もふさぎ仲間を呼んだ時は、友達←女 も青ざめてバックで急発進し逃げはしった。
あのときも何かに祈った。。
全ていまはアウトだが昔は走り屋が本当に多かったな。
、祈ってて良かった、
今日は仕事は半ドンで午後は娘のカラオケに付き添った。
いわゆる箱物の乗り物の一種だ。
私はワンオクやレディガガを歌いノリノリだったが
娘はなぜかモスラを歌い始めた。。
モスラーヤ、モスラーハンニャニカサムイヤラ、みたいな。。
お前、それどこで覚えてきた?と聞いたら
パパんちでー!とにこやかに答えた
、さすが、パパ。ゴジラオタク。
その独特な歌は三回も!
一時間中に三回も聴かされるのである
何語やねん。創作語?
インドネシア語だったw
その箱物にはさすがに乗れませんでしたとさ
チャンチャンとな
オーストラリアへ(日本人男性を探しまわる)
アデレードに着いた。
早速インフォメーションセンターへ。
、知り合いの日本人男性おらず。
そりゃそうか。約束の三日後だw
仕方ない。そこら辺のバックパッカー宿をしらみつぶしに探すしかないな。と。
電話帳見ながら、インフォメーションセンターからもらったバックパッカー宿の地図を見ながら探し歩いた。電話をかけ○○という男性は泊まっていないか?
昼間はバックパッカー宿を歩きまわり○○という日本人は泊まっていないか?と
マレーシアと同じく三日間探し歩いた
勿論その間、バックパッカー宿には泊まっているしトラベラーズチェックも現金化し銀行開設もした。
今はマルチカードがあり便利になりましたねー。
携帯も海外で通じるし。
安い国際テレフォンカードを使っていたのが懐かしいです。
とにかく日本人男性を待たせてしまったのが申し訳なく、連絡手段もなく、←アデレードのインフォメーションセンターで○時にねー。ぐらいの約束はさすがに曖昧過ぎた事を反省した、
三日目の夜、アデレードから少し外れたバックパッカー宿に泊まった
いたー!!ゆうじ!ゆうじ!私だよ!
私を一目見るなり、
お前さあ。俺が何日待っていたと思う?←4つ下
ごめん。マジで。と平謝りする
タバコを吸いながらゆうじ(仮名ね)
お前、なんでこんな遅くなった?
後さ、そのミニスカートさーたちんぼ(売春婦)に見られるからズボンに着替えな。
さすがに何ヵ国も旅をしているやつだな。
確かに私の服装の露出は海外では多いほうかもしれん。
しかもミニスカートにロングブーツだ。。
日本ではファッションだがここでは違う。
やはり私は日本かぶれをしているしまだ平和ボケをしているようた。
と、明日に安いスーパーでながズボンと安いテイシャツを買う。
その日の夜はイギリス人、日本人男性、女性、他多国籍の方々と夕食終わりタバコを吸いながらロビーて団らんしていた。
外に何人かゲラゲラ笑っている人たちがおりその中に日本人女性も混じっていた。
ホースから水を出してそのホースを女の股ぐらにつけ確か英語で放尿ーといって水を撒き散らしゲラゲラ笑っていた。
私はニュージーランドで似たような光景は見ていたから
あー、草決めてるなぐらいに思って冷ややかに見ていた。
ゆうじは日本に連絡してくれ彼女=わたしの友達
に安否確認したことを話したようだ。
すまんな。あや、迷惑をかけました。
一応、アデレードに着き一週間バックパッカー宿に泊まって色んな人と話して落ち着きを取り戻した。
明日からは英語学校の入学手続きに入ります、
追記。本当はさ9日からプーッケット5日間の予定だった。
パワハラにあい休職し次の月に海外旅行いってきまーす。とね、けろっといって休む精神力はさすがになくお盆は
地元で過ごさせて頂きました。
多国籍料理、おいしかったですよ
マレーシアを出国(マレーシア最終回)
今週のお題「人生最大の危機」マレーシア編最終回です
台風前に映画を見に行った。
娘はペット2を。私は天気の子を見る予定だったが娘を一時間待たせるのも気が引けるしそんなに映画を観る気分でもないので店ブラしていた。
買いたい服も物もなく、レストランは後から娘と行こうと目星はつけた
本屋によりananの愛とs○xの本を見つけ買いたくて買いたくて仕方がなかったがもしも買っている最中に学校のお母さんにあったら、もしも職場の知り合いにあったら。と考えたら買えなかった。。
一週間買いたくて買いたくてそれでも手を出せない本なのである
、
物欲はないが
そっちの欲は旺盛なのである笑
三大欲求で生きてるなっちゃんです。すいません
さて、日本国にいる両親に電話を大使館長がされ、私は促されるがまま受話器を取った
もしもし←私
○○か。
父の声だった
、今まで何をしていたんだ?と言われ
マレーシアの警察官と犯人探しをしていた。と伝えた。
父はため息をつき、
お前、オーストラリアは?行くのか?と。
、
はっ!
日本人男性とオーストラリアで待ち合わせしていたんだ!
行くよ!勿論!友達待たせてるもん!
こんな状況になっていても行くのか。。ため息をつく父
んー、まあ、トラベラーズチェックは無事だし。カードはまた再開すれば良いし。まあ大丈夫だろう。と私は判断し、
大丈夫だよ!と答えた。
父はわかった。一週間に一回の手紙は必ず書いてくれ。と言われて電話を切った。
大使館長に
電話口で泣かなかったのは偉かったな。と肩をポンポンされた。
まあ、本当に長にとっては自分の子どもと重なって見えたのかもしれない
大使館でカードの手続きと飛行機の手続きをお願いし、またもやマンダリンオリエンタルホテルにお世話になりホテルの車でマレーシア国際空港に向かうのである。
電話を切った後彼氏(元旦那)曰く
両親は腰を抜かしてヘナヘナと座りこんでしまったらしい
もう、娘は要らんな。。とポツリ
私もそんな娘要らんと思うw
国際空港に着き迎えに来たのはやはりマンダリンオリエンタルホテルの若いボーイ
マレー系の顔立ちをしていた
既に事情を聴かされているようで
飛行機のチェックインをしてくれたり付き添ってくれた
私の顔を見て、何か食べていた?お腹は空いてない?と聞かれ
あー、そういえばこの三日間ろくに食べてないし寝てないな。と思い出した
食べてはいないよ。。寝てもいないかな。、と素直にボーイに伝えた
突然、ボーイは
ノー!何か食べないと駄目だよ!
と空港のレストランに連れて行かれた
スパゲッティーが目の前に置かれた
お金は?と私が聞くと
そんなの気にしなくて良いから!
食べて!元気出して!と。
、
気持ちがとっても嬉しくて
本当に嬉しくて
食欲はなかったがほぼ全部食べてしまった
それを見ていたボーイは安心した顔をしていた。
ホテルのフロントのマレー系の女性もそうだったが、本当に自分の事の様に考え親身になってくれた。
ボーイは飛行機のboarding timeまで付き添ってくれた。
その間いろんな話をした。
そのボーイはシェアハウスに男性5人と暮らしており、収入は家族に渡していると。
確か兄弟姉妹が5人ほどいたような。。←記憶曖昧
そんな彼が空港のレストランでスパゲッティーを奢ってくれたのだ。
空港の食べ物なんてそこの物価の10倍ほどある。
自国労働者の
賃金なんて物価指数でたかがしれている
、
最後の最後にマレーシアの人情に魅せられた旅だった。
あ、日本人にも
館長ほんっとうにすみませんでした!
そのマレーシア男性(名前はTAJAL)と連絡先を交換しオーストラリアに私が渡っても日本に帰国しても手紙のやり取りは続いていた。
日本に一時帰国した際にも私は経由でマレーシアに訪れて
TAJALと会った。
その日本帰国の際にこの時の犯罪グループの一員に再び見つかり、その日泊まっているホテルのルームに戦慄の電話が夜中にかかってくるのである。(そこそこ良いホテルだった。BB的なホテル)
この時のほうがマジで殺されると感じ一睡もできなかった。。
それはまたオーストラリア一時帰国編で記事にしたいと思う。
、覚えていればw
今回のマレーシアでの
人生最大のピンチはこれでおしまい。
オーストラリアに渡ります
あ、anan買っちゃいました。
今から読みます
マレーシア日本大使館長と私の対立(マレーシア消息不明編)
今週のお題「人生最大の危機」
昨日は猫島に行って、海の幸を堪能できればと思いあまちゃんレストランにいったが14時以降にしか席はあかないです。と言われ、
他のお客様が食べられているウニと透明の器に盛られたいきいきとした刺身を横目に見ながらあまちゃんレストランを去った。
もう、とにかく腹がへって堪らなかった私は何とかカフェへ。
歩いて5分の場所といった看板目指して歩いた
後3分の看板をみやり
後1分の看板をみやり
あった!何とかカフェ!
とにかく腹がへった私はとりたて新鮮フィッシュバーガーセットとヘルシーひじきピラフセットを頼んだ。
きた!新鮮フィッシュバーガー!
娘が食べているフィッシュを味見させてもらった。
これは!
5匹で298円でスーパーに売ってある、白身魚フライだ!
このサラダは!
スーパーで98円で売ってある洗わなくても良い千切りサラダだ!
なぜわかるかって?
そりゃあ、良く利用してるからw
ふへっ
残念な気分にはなったが目的は
猫だったし、お腹はいっぱいになったからこの日はよしとしようと。
で、今日行きましたよ。
地元で新鮮な魚を出す店に
ふう。満足しましたw
やっぱり満ち足りてなかったんですな
さて本題に
、
マレーシアという国家に諦めを感じて、マンダリンオリエンタルホテルにまた事情を話し、日本大使館に事情を伝えに行った。
お金はない。カードはもう利用できない。←中止
飛行機のチケットは期限切れ、。
頼みの綱はこの時は日本しかなかった
警備員に日本パスポートを見せて大使館の中に入る
マンダリンオリエンタルホテルの人、本当にありがとう
あのー、すみません。とおずおずと大使館の中に
名前は?と受付の女性に聞かれ、○○です、と。
するとその女性はびっくりした表情で○○さん!
本当に!
はい?本当です。と私はキョトンとする(・_・)
大変です!○○さん!見つかりました!と、その女性は大声を上げ、まわりは騒然とする
、
なんだ?何が起こった?
私はその状況が掴めず、立ち尽くしていた
しばらくし、30代後半ぐらいの男性が私に近づき名刺を渡した。
名字は忘れたが大使館長と書かれていたことは覚えている
密室に通され二人きりに
まあ、事情を話します。
大使館長、話を一通り聞いた後、深いため息をつき
○○さん、あなた、ご両親にどれだけ心配かけたと思ってるの!
親の気持ちを考えた事はあるの?!
行方不明になってしまった子どもを持つ親御さんの気持ちになってごらん!
と、号泣されながら説教された。
僕もね、小さい子どもが二人いるんだよ!だからあなたの親御さんの気持ちが痛いほどわかる!と。
そのときはついつられ泣きをしたが頭の片隅に、モヤはかかっていた。
何か違う?
何でもうち、こんな怒られてんのかな?と。
でも、もうその時はヘトヘトで考える気力もなく
ただただすみません。と謝り泣きつづけた
知らない土地で犯罪に巻き込まれ、警察には騙され、警察に照会されたばっぱー宿のシャワーは泥水で水道水も泥水で。
大使館にいった時の私は頭は泥水で砂まみれだったろう。
両親に迷惑をかけてしまったのはわかる。
心配かけてしまったのもわかる。
、ただし親心はしらーん!
うち、その時は独身で子どもいねーし、好きで犯罪にあったわけでもねー。
何でこんなに怒られないとあかんの?と怒りを感じた瞬間に涙は止まり
日本にいる
両親に大使館長に言われるがまま電話をかけた。
若いって無謀で世間知らずで怖いもの知らずですよね
両親よ。この先も私は多大な心配をかけてしまう事になる。
これはまだ、序章にしか過ぎない。ごめんw
続くw
マレーシア警察と犯罪組織と私と日本大使館(マレーシア消息不明編)
今週のお題「人生最大の危機」暑いよ。暑い
でもせっかくのお盆休みじゃんね
行って来ました。猫島へ
まわりは皆さん猫好きで
寝ている猫を起こさずに猫自ら来るのを待たれる
猫を撮ってる若いカメラマン風の男性に娘が声をかけた
あのー、、猫好きですか?
はい。好きです。←男
写真はなんの為にとってるんですか?←娘
写真におさめて、里親探しやこんな境遇の猫たちがいるという事をカメラを通じて教えてるんです。←男
へー、偉いですねー。←娘(何様)
触らないんですか?猫?
来るのを待ってます。むやみやたら抱くものではないですから。あ、ちなみにその猫は赤ちゃんが居るのでだっこはやめた方が良いかな。そこの猫はその子の子どもですよ。と言って去っていかれた
、いや、兄さんよ。ここ猫島。
猫で、栄えてる島だろ?
里親って、。避妊しないと無限に増えるじゃんよ。兄さんよ。
来るまで待つて何?
餌一袋100円で売ってるし餌持ってればワサワサくるし。
綺麗事言ってないで痩せている猫たちに餌やらんかい!病院連れていけ!避妊させやがれ!引き取りやがれー!
と、猫好きではない嫌いでもない私は若い男性の物事の本質がずれている事に怒っていた。←暑さにイライラしていたのもある
さておき
娘は餌を食べている最中の猫は決して触らず、猫たちの紛争を←(ただシャー言ってるだけだ。私的には)優しく問いただし、寝ている猫は触らずに優しく見守っていた
わっしはもう暑さに、やられて人間の座るベンチに三匹横たわりグーグー寝ている猫達をおしやり、そこら辺の猫達を優しく撫でていた娘に○○ー!熱中症になるから日陰に入れと言うとるやろ!と叫んだ!
猫好きな皆様の目が私に集中。
あ、皆様、あえて静かにしてねこさまを起こさなかったのですね。。
皆様、あえて、ベンチをねこさまに譲ってあげていたのですね。
ああ、場違いは私なのだ、
娘の態度が正しかったのか。。と反省し帰宅しました。。
猫は奥が深いのかもしれない
私は奥深くないけどw
うけるw
さて、マレーシア警察に怒り心頭のまま直行した。
怒りが先にあると英語がペラペラペラペラ出てくるのが不思議だ。
聞いていた、警察官の一人がパトカーを出すと言ってくれた!
Nice!ポリス!
パトカーに乗り込み、犯罪が起こっただろう的な道を案内する
が、何回も何回も同じロータリーに帰ってくる
道が全て同じように見えてくる
家もだんだんあやふやになってくる
ダメだな。私の負けだ。
警察にもうよいです。諦めます。と伝えた
わかった、でもマレーシアの旅行を悪いイメージにしたくないから少しマレーシアを観光しないか?と言われた。
まあ、警察だし、大丈夫だろ。←アホ
と思い誘いに応じた。
途中一輪の花を持たされ写真を撮られたり、脚をパトカー内で触られたりして、
あ!違う。これは下心ありだ!とやっと気付き警察署に戻ってもらった
警察署につくと仲間内から遅かったな。タイプだったんだろう。ワハハハハと、その屑はからかわれていた。
マレーシアという国に諦めを感じ、やっと日本大使館に向かうのである
もう、ヘトヘトの私に待ち受けていたのは
大使館側の○○さんが見つかりました!といった大使館全体のざわめきと悲鳴。、
皆さんのバタバタした足音、鳴り響く電話音
そしてマレーシア日本大使館長の涙を流しながらのお説教だった。
、本当にすみません。。
続く
犯罪組織から逃げ出す(マレーシア編)
今週のお題「人生最大の危機」
なっちゃんです。
台風2個きてますね。
頭痛と不穏感半端ないっす。
、なんか調べたら気象病というらしい
生理休暇みたいに、すみません、今日気象病で。。
気象休暇もらっていいっすか?と言いたすぎるなっちゃんでした。
前編の続きです。
写真を、見てわかる人にはわかったでしょう
はい。トランプ詐欺にあいました。←わかるかってね
バカですよねー。本当に
事前にその、大実業家を負かす為、トランプ詐欺を教えられました。
どうせね。勝っても負けても逃げられない。
わざと負けたらどんな目にあうのかわからなかったので言われた通りにし、勝ちましたよ。
それからは、
大金が、手に入るからGOLDを買いに行こう!←意味不明
と、まちなかへ
GoldSHOPに連れていかれあれも買おう、これも買おうと5にんほどに囲まれて言われる。
だが、そこの店員さんは日本人だった!
目で合図を送り、これ以上はカードは使えないと言わせ、犯罪にあっていると連絡してほしいと頼んだ
フィリピン犯罪組織はカード限界と言われると
Oh!と言って
次はATMに連れていかれ
現金を引き出すように言われる
暗証番号忘れた。わからない。と何回も伝えて
この金づるはもう使えないと理解してもらうしかなかった
以前泊まっていた5つ星ホテルに連れて行ってもらい、車から下ろされた際に
犯罪組織の男性1人引っ張りだし
近くのベルボーイに
へーるぷ!ヘルプミー!と、叫ぶ
正にここ!↓
車は仲間を見捨て走り出す
焦った男性も私の手を振り払い走り出す
、
ちっ
逃がした
ホテルのフロントに事情を伝えた。
金額におーまいがー!と叫ばれた
40万かなぁ。カードは
マレーシアではとんでもない金額なんだろう。
すぐに飛行機のチケットを手配してくれたが
怒りが収まらない私は
マレーシアの警察に犯人探しを頼みに行った
GoldSHOPの日本人の店員さんがマレーシアの日本大使館に一人の日本人女性が犯罪に巻き込まれてると連絡してる事も、知らずに
そのマレーシアの大使館が私の両親に連絡し
お宅のお嬢さんは犯罪に巻き込まれ今、消息不明です。と言ってた事も知らずに
私はまたマレーシアの警察官と共に
消息不明になるのである
海外の警察官と日本の警察を一緒にしたらダメだな
マレーシアの警察はマレー系であり
腐敗が進んでいた
ワイロがあって動く
今回私の為に動いたのは
個人的なその警察官の感情で動いただけなんだな、と。
日本ならば即セクハラで逮捕だぞ
続く
マレーシアで行方不明者になる
今週のお題「人生最大の危機」
、
人生最大の危機に何回も出くわしているなっちゃんです。
今日からお盆休みに入りましたねー
6連休です。
宿を探すがどこも満室。
娘は遊園地に行きたいと
今日は日中37℃
そんな気温の中、ごった返した遊園地で親子で頑張らなくて良くね?と思い、必死に地元の祭を奨めた私です。
800円使いご満悦の娘。
エアコンがきいた部屋で極ゼロを飲みブログを書いてる私
うん。大丈夫。欲望にお互いに中立だ。と納得した本日です。
さて、マレーシア続編っす。
親しみやすいフィリピン女性に腕を組まれ、気づいた時には数人の男性がまわりに取り囲み、是非うちに招待したいと言われました
、気づいた時には路地裏で逃げようにも逃げられず言われるがまま、車に乗り込みました。←さからって命がなくなくよりましだと思った
後部座席の中央に座り両隣は男性が
運転手も男性
助手席にはあの馴れ馴れしい女性
必死に道を覚える私
右、左、また右、左に
常習犯だろう。クネクネ道を曲がっていく。
ダメだ。覚えられないや。と。
抵抗せずに20分ほど走っただろうか。。まあ普通の家に。
犯罪組織の家だとは見た目はわからないな、、
馴れ馴れしかった女性は話す
今、家にいる男性は大実業家で
このゲームに勝てば私たちは大儲けができるんだ!と。
内心。てめえらが日本人相手に大儲けしたいだけだろう、とは思っていたが
まわりは知らない場所で相手は周りを熟知している犯罪グループ。
私がこの場所にいる事は誰も知らないし、死んでも行方不明者のまま年月がたつだろうな。と思いながら
ゲームをしましたよ。
彼氏(元旦那)から帰国後に
あんな詐欺にひっかかるかあ?普通?と呆れられ
マレーシアの
日本大使館から連絡が入った両親からは
もう娘は要らん(泣)と泣き崩れられ。
今更ながら
命があって良かったとしみじみーと感じてます。
続くw
続編お楽しみに
画像見てわかる人にはわかる詐欺ですw
甘い
脇が
甘すぎる私です
事件当日(クアラルンプールにて)
その日はホテルのチェックアウトの日。荷物はフロントに預け、オーストラリアの飛行機のボディーボーディングまでクアラルンプールを観光した
ツインタワー内を歩いている時に眼鏡をかけた30代ほどの女性から日本語で声をかけられた
内容的には
日本の京都という場所で私の妹がお世話になっている。日本人は本当に親切だと妹から聴いている。
だから日本人に私はお礼をしたい。という内容だった
観光地を一緒に巡りましょうと言われて一緒にまわった。
そのときは親しみやすい女性だなぁと感じていた。
今、思えば馴れ馴れしいの間違いだが
だんだん
観光地ではない場所に連れていかれている事には気づかず
観光を楽しんでいた。
クアラルンプールのタクシー運転手に置いてきぼりにされるの巻
朝からタクシーをよぶ
○○にいってと伝える
Ok,ok,ok,と軽い返事をされ乗り込む
エアコンは効いてない。場所を聞いての返事も軽い
鼻歌歌ってる
アジア人特有のお気楽さだな
一通り観察した後、メーターをみやる
一応ちゃんとまわっているし、メーター速度も緩やかだ
ぼったくる気はないようだ。と安心したのもつかのま
だんだん道が地元民しか知らないような道に入っていく。
いりくんでいく。
、
ここは近道なんか?とだんだん疑念が湧いてくる
で、10分ほどたちスラムっぽい所で止まり、タクシー運転手からちょっと待ってて。と言われてタクシーに置き去りにされる
はい?待って。なに、これ?
なに放置プレイなん?
周りを見渡すが全く知らない土地でありむやみに降りて歩いたら危険と判断
来るかどうかもわからないタクシー運転手をひたすら待ちました。
携帯もレンタルしてない。→昔は携帯は海外では使用不可
今、ここで下ろされたら完全にアウトだな。
行方不明者の一員だ
と思いながら20分ほどまつ
運転手がごめんごめんと帰ってきた。
運転しだした運転手に私はすかさず
メーターずっと動いてましたよ。と
最初の段階のメーター数を伝え元に戻してもらった
所謂メーターぼったくり運転手だったんだな。
大通りに出てもう下ろしてもらった。
日本ではあり得ないだろうが
向こうのタクシー運転手は信用できない。
メーター制が安全だと言われているが
安全はない。と考えて良い
セブでもそうだったが乗る前に事前交渉をして交渉不成立ならば乗らずほかを待つ手もある。
時間をとるか金をとるか
安心は日本人ならば金で買える
しっかりと事前交渉し安全に旅をしたいものである
クアラルンプール当日の夜(オーストラリアワーホリ編)
1日しかマレーシアには泊まらないのでせっかくだから外にでた
ホテルはセキュリティがシッカリしていたのでパスポートと小銭だけ持ち町へ
外にはドリアンの脱け殻がそこら辺に転がり落ちドリアン臭がどこそこから匂ってくる
ゴミ箱はなく散らかし放題なのはアジア特有なのかもしれない。
近くのセブンイレブンによりミネラルウォーターを買い、ホテルへ帰った。
フロントに何かお勧めのディナーがある場所はないか?と聞いてみる
そうしたらディナーショーを奨められた。
いってみることに。
ディナーの内容やショーの内容は忘れたが皆の前にたち、一緒に踊ったことは覚えている
1人でディナーショーきた私をマレーシア人は凄くきづかってくれた事は覚えている。
凄く親しみやすい人種なんだなあ。と
夜を楽しみました。
その時に頭があんまり毛髪が多くない。いや、反対に少ないとも言える白人男性が(隣良い?)と
あ、まあ、良いですよ。と
毛髪が少ない白人男性は若い日本人女性を口説き落としにかかります
Your so sweet.!
Cute!
、
私は胸毛や手毛も無理だが
頭髪が少ない人にも恋心は感じず
サンキュー。ぐらいに交わしていた
以前にニュージーランドで一年間海外滞在をしていた余裕が明日には悪夢になることも知らず
良い気分でホテルへ帰る
いまだになぜ女性1人で夜のアジアを歩いてしまったのかわからない。。
恐ろしい
ちなみに、ドリアンは食べてないっす
クアラルンプールへ行き物価、文化の違いを目に焼き付ける
クアラルンプールに着いた。空港に出迎えのベルボーイが迎えに来ておりリムジンに乗り込んだ。クアラルンプールって気前が良いんだな、と感心しながら乗り込んだ。
ホテルに着いた。場所はマンダリンオリエンタルホテル↓
、超デカイ。フロントが長い。10人ぐらい並んでいる。
ついでにイスラム教の客層が多い←服装で
女性は目しか出しておらず男性はなんかターバン巻いてる。、
マレーシアはイスラム教徒か!
一泊だったから地球の歩き方を読んでこなかった。
、しくった。
イスラム教のマナーやルールを知らない私はちょっとイスラム教の女性とは距離をおいた
イスラム教の既婚者の女性は旦那にしか顔を見せてはならず冗談でも顔を見ようとするならば
旦那から殺されても文句は言えないのである
旦那いたら、うち、今、瞬殺されてる。、
まあ、あの時点でも
そういった知識はあった為、誰が既婚者か知らないがすすーっと距離をおいた(((((゜゜;)
イスラム教の方々はなかなか他者を受け入れないのでこちらからは話しかけず、フロントで受付を済ませ、速やかに部屋に
きらびやかなホテルにバックパックに寝袋を背負ってテイシャツ一枚にズボン一枚の私は本当に周りからじろじろ見られていたので早く部屋に入りたかったのだ
部屋に入ると、
これは
、
これは違いますね
4000円レベルの部屋ではない
クイーンサイズのベッドに大理石のテーブルには南国のフルーツがバスケットで置いてあった。
、
クラクラしながらバスルームを見たら
黒の大理石風呂が。。
あかん。腰が抜けた
これは私が泊まるレベルではない
Hisさんはこれでも中と言っていた
日本円の強さをここにみた感じですね
日本円ってこんなに強くて
世界には物価指数がこんなに日本と違う国があるのか。と。
海外にでないとこの物価の違いはわからないかもしれません。
知り合いになったベトナム人が100円でベトナムだったら一流ホテルに泊まれるよ!と言っていた。
ちょっとマレーシア調べておけば良かった。
相場が全くわからないのは致命的だとこれから感じることになる。
後、平和ボケし危機管理能力がなかった自分にもこれから後悔することになるのである
ちなみにマンダリンオリエンタルホテルは5つ星である
熊本から経由でマレーシアへ(オーストラリアワーホリ編)
飛行機は自分で手配をした。
あの時代は大体KOREANエアラインが安く、経由でマレーシアに一泊してオーストラリアに行くという形にしていた。
私は
Hisを良く利用していましたね。
マレーシア一泊のホテルも相談して4000円程度の場所を確保してもらいました。
熊本空港には私の両親、妹、、パピヨン(犬)、彼氏(元旦那)が見送りに来てくれました
彼氏は目を真っ赤にしています。
今までオーストラリアに行くぞ!と気合いが入りまくりだった私はその時に彼氏の気持ちに気付きました。←遅い
あ、そうか。一年間ほったらかしにしてまう。
オーストラリアに絶対くるから!といっていたし、本人もイギリスに4年間留学していたし
会いたかったら私も日本に一時帰国すればいいやあ。ぐらいに考えいた私の目にも涙が
一般的に一年間彼氏をほったらかしにする
彼女ってどうなんだろう。。と今なら考えます
まあ、私の両親が面倒みると言ってるし
目を真っ赤にした彼氏を両親はおろおろ心配する
私も心配になってきた。
私、オーストラリア行くべき?とさえ感じた。
旅に行くときは彼氏は要らんな。マジで
引き留めるものはない方が良いと思う。
KOREANエアラインに乗り込み
飛行機の毛布をかぶりひっくひっくと泣きながらの出発になってしまった
4時間かけてマレーシアの首都クアラルンプールに向かいます
19歳時家族(両親、妹、弟)から、
お前と付き合う男性たちは本当にかわいそうだ。と言われてきた意味が書きながらなんとなく理解できたような。。
気がしないでもない
オーストラリアのどこを拠点にするか
暑いですねー。
昨日は最高気温37、8℃だったようで。
午後はエアコン一台フル回転させてたけどもそれでも暑くて図書館に午後7時まで逃げ込んだなっちゃんでした。
明日は台風くるしなあ。なんか用意しておいた方が良いかなあ、水とか風呂に水貯めとくとかパンとかカップヌードルとか。
あ、外回り片付けないと
この暑さの中ではやだ
夕方にしようと決めました。
さて、オーストラリアですが
どこを拠点にしようか悩んでました。
ポイントとしては日本人が観光に訪れるようなところではないとこ←日本を出てまでつるみたくない
観光名所ではないとこ←ただの反骨精神
メルボルンか、ブリスベンかアデレードかなあ。と考え、オーストラリアを周りやすいアデレードにした。
そこからは早かった。
英語学校の下調べをし大学付属の英語学校を見つけた。そこはホストファミリーも紹介してくれる。
値段もそんなに高くなかった
早速飛行機のチケットをとり、ニュージーランドで知り合った日本人男性に連絡し
何月何日の何時にアデレードのインフォメーションセンターで待ち合わせをしようと決めた
どこにインフォメーションセンターがあるかは
行けばわかるから調べなかった
彼氏(元旦那)の両親に手紙を書き、激励のお手紙、激励金を頂き、私の両親に彼氏(元旦那)を託し
また海外へ旅立つのである
、
経由のマレーシアで私は行方不明になり日本国から捜索されるとはこの時は誰も知る由もなかった。。
オーストラリアに行く準備(会社辞める)
三年働いた
英会話講師としてもホステスとしても
良い感じでお金はたまった
今回は働かずにオーストラリアで遊びまくるつもりでいた。
ワクワクして会社辞めまーすとマネージャーに話した
いや、ちょっと待って。まだ次の人決まってからね
わかってまーす。契約書どおりに1ヶ月前に言っただけですから←契約書あるんですう!うちの会社!
普通か、、
芸能界ではないし。
吉本所属ちゃうしな。
なんだ、普通か。。(ショボーン)
主任とはきまずいままだったが、別にこの人が私の人生を決めるわけでもないし、と気にはしていなかった
マネージャーは何かあったの?あったのなら言ってと何回も話し合いを持たれたが別に主任のせいでやめるわけでもないので、何もありません。と言い続けていた
2ヶ月たち、三ヶ月たち、、4ヶ月たち、私のイライラはピークに
もう、4ヶ月ですけど、とマネージャーに伝えると
驚きの一言が!
わかったわかった。いまから新人講師募集するから。と
してなかったんかーい!となる
いや、まじで。パスポートはあるが、退職しないとビザの手配も出来ないし、保険の手配、免許証の手配もできん。本当に困るのよ
、今まであーた、何してたん?と憤りがくる
それでもまだ辞めさせない戦法は続く
本社から人間か来て
慕ってくれているクラスの子達がかわいそうと思わないの?と
でたよ、これ
今まで教材やらCDやらいろいろ買わせていた会社が言うかあ?と当然なる
心は動かない
既に私が受けもった三才から中学三年の子達には手紙を書いていた
先生はオーストラリアにいってまた英語に磨きをかけてきます。日本との文化の違いを勉強しにいってきます。と
約60名の子どもたちに手紙を書いていた
私の決意は固いのだ
辞めます宣言をして半年目にやっと新人がきた。
1ヶ月かけて引き継ぎを終え、子どもたちに手紙を渡し、また子どもたちから手紙をもらい、この子たちに会えて本当に良かった。と感じながら退職することになった
同じ時期にあと1人やめたが主任はそのかたに皆の前で花束を送ったが私には目もくれず花束もなかった。
同期の二人が気の毒そうに花束を渡してくれた。
ありがとう。と言いさよならをした。
女性だけの職場は泥沼だな。
その時の彼氏(元旦那)に辞めたことと、子どもたちからもらった手紙を見せ
いざオーストラリアに行く準備を始めるのである
ダダン!